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アフガニスタン関連講演会のご案内(9月10日)

みなさま、

京都の岡真理です。
9・11、アフガニスタン空爆から10年を迎え、9月から
10月にかけてアフガニスタン関連の講演会を3回シリーズで
開催いたします(会場同じ)。以下、詳細です。

===転載・転送歓迎=========================
シリーズ<9・11、アフガニスタン空爆から10年
 ~アフガニスタンと世界と私たちの今を考える~>

■第1回 2011年9月10日(土)1:30~(1:00開場)
◎映画「ヤカオランの春」(川崎けい子・中津義人監督、2003年、83分)
◎講演 田中浩一郎さん(日本エネルギー研究所理事)
 「アフガニスタン~終わらない苦難の歴史~」
会場:京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟 地下講義室
http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/
★申し込み不要 / 資料代700円
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アフガニスタンを今いちど、想起するために――
9・11によって、それまで関心の埒外に打ち捨てられていたアフ
ガニスタンは、にわかに世界の耳目の的になりました。しかし、
2003年、イラク戦争が始まると、世界の関心はイラクに注がれ、
アフガニスタンは再び、忘却の深淵に飲み込まれていきました。
10年たっても米軍・NATO軍の駐留は続いています。9・11、
そしてアフガニスタン空爆から10年を迎える今、あらためてア
フガニスタンについて想起し、私たちが果たすべき応答責任ついて、
ともに考えたいと思います。
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【講師プロフィール】
田中浩一郎(たなか・こういちろう)
専門は現代イランの政治情勢および現代アフガニスタン情勢。在イラン日本大使館専
門調査員、(財)中東経済研究所主任研究員、外務省国際情報局分析2課専門分析
員、国際連合アフガニスタン特別ミッション政務官、(財)国際開発センター エネ
ルギー・環境室主任研究員を歴任、2008年より(財)日本エネルギー経済研究所理
事、兼 中東研究センター長。論文に「アフガニスタンの今」(保坂修二編『アフガ
ニスタンは今、どうなっているのか』京都イスラーム地域研究センター、2010年)ほ
か多数。
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【映画「ヤカオランの春」】
やがて教師は語り始めた、封印された暗い過去の秘密を、故郷で起こった衝撃の真実
を――
内戦の激戦地ヤカオラン、美しい大地は血で染まり、人々は悲しみに沈んだ。
アリ・アクバル、タジワール夫妻は、生きるために故郷を離れ、難民となった。
そして、自らの人生を子どもたちに語り始めた。
平和を希求する人々へ、あるアフガン家族からのメッセージ…
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主催:PJ21(京都大学大学院 人間環境学研究科 岡真理研究室)
PJ21kyoto@gmail.com
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<今後の予定>
■第2回 2011年10月8日(土)1:30~(1:00開場)

◎映画「カンダハール」(モフセン・マフマルバフ監督、イラン=仏、2001年、87
分)
◎講演 鈴木均さん(アジア経済研究所研究員)
 「アフガニスタンはどこへ行くのか~9・11から10年を迎えて~」
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■第3回 2011年10月29日(土)1:30~(1:00開場)
◎講演 マラライ・ジョヤさん(人権活動家・もと国会議員)
 「祖国に自由と真の民主主義を求めて
  ~占領・軍閥・原理主義との闘い~」
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PJ21 その他の企画(別途、詳細お知らせします)
■9月17日(土)1:30~(1:00開場)
「<パレスチナ>私たちに何ができるの?」
◎映画「シャティーラ・キャンプの子どもたち」
◎講演1.岡真理「パレスチナ問題とレバノンのパレスチナ難民」
   2.清末愛砂「西岸最新情報」
◎私たちにできること(パレスチナ関連NGOの活動紹介)
会場同じ/資料代1000円
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以上
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京都新聞5月16日夕刊「現代のことば」

山羊と原爆

1928(昭和3年)、富山のさる旧家に男児が誕生した。
父親は帝国陸軍の将校。待望の長男だった。だが、
赤ん坊は衰弱しており、生き永らえそうに見えなかった。
父親は下男に赤ん坊を埋めるよう命じた。
下男は息のある赤ん坊を埋めるに忍びなく、
生きている間だけでもと、山羊の乳をやった。
この乳が赤ん坊の命をつないだ。

瀕死状態で生まれたのが嘘のように腕白な少年に成長した
長男は、父親と同じ道を歩むべく、広島の陸軍幼年学校に
入学した。皇国の大義を純粋に信じていた。
1945(昭和20)年8月、幼年学校を卒業して、どこかの街で
任官を待っていたとき、日本降伏の噂が伝わった。
彼は同志とともに、国民に徹底抗戦を呼びかけるビラを刷り、
飛行機で空から撤くことを画策するが、上官に見つかって
営倉に入れられる。営倉から出されたとき、部隊はすでに
解散していた。

除隊後、彼が向かったのは郷里ではなく広島だった。
彼にとって第二の故郷であるその街が新型爆弾で壊滅したと
聞いたからだ。当時の市内は民間人立ち入り禁止だったが、
軍関係者であった彼が街に入るのは難しくはなかった。
変わり果てた街を、彼は何日も彷徨い続けたという。

敗戦後、「アジアの解放」が帝国による侵略に過ぎなかった
ことを知り、彼は共産主義者となって、レッドパージの時代、
地下生活を送る。やがて業界紙の記者となり、結婚したのは
30を過ぎてからだった。子どもも生まれ、幸せな結婚生活も
束の間、1963年、彼は突然、肺癌を発症、余命半年と宣告され、
その3カ月後に亡くなった。2歳半の娘を遺して。35歳だった。
これが、私が父について知るすべてである。

自分がなぜ癌になったのかも、父は知らなかっただろう。
当時はまだ「入市被爆」などという言葉も存在しなかった。
だが、あの夏、17歳の彼は、残留放射能の中をたしかに
長時間、彷徨ったのだ。母校は爆心地のすぐ近くだった。
学校にいた1学年下の後輩たちはみな、原爆で亡くなったと
いう。廃墟となった街を彷徨いながら彼は、わずかな偶然で
自分が免れた運命がいかなるものであったのかを焦土の中で
幻視していたのだと思う。

このとき、彼の体内で時限爆弾が仕掛けられた(放射能によ
る晩発性障害、すなわち「ただちに健康に害があるわけではな
い」というのは、こういうことだ)。あのとき広島に行きさえ
しなければ、父が癌で死ぬこともなかった。しかし、「もし」
と言うなら、小さな命を隣れんだ下男が赤ん坊に山羊の乳を含
ませてくれなかったら、彼の人生そのものがなかったはずだ。

父の35年間という人生は、一人の心根の優しい人間と山羊の乳
が与えてくれた贈り物だ。1年早く生まれていれば、南洋に送
られ、戦死していただろう。1年遅ければ、原爆で死んでいた。
1年前でも後でもなく、あの年に父が生まれ、そして山羊の乳
と、放射能の晩発性障害の発症までの時差のおかげで、今、
私という人間が存在している。
(京都大学教授/現代アラブ文学)

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